カメラを片手に出掛けるということ

 昨日AFF1横浜を訪ねた際に、マスターからお借りした FUJIFILM X2
早速帰りから本日コンビニまでのお出掛けも含めて使わせて頂いていますが、
「性能」・「造形美」共に申し分のない魅力的なカメラです。
少なくとも私の見る限り、もうひとつの要素である「面倒臭さ」が
今のところ見当たりません。 






 さてカメラと一緒に出掛けるという事は、
「今まで以上に世の中が見えるようになる」ということではないでしょうか!?






頭上に広がる空や流れる雲、飛んでゆく飛行機
道ゆく人々
庭で昼寝をする野良猫、電線でさえずる鳥たち
足元にひっそりと咲く花






いつもなら通り過ぎてしまうような素晴しい世の中を構成するひとつひとつの要素を
カメラ片手に「どんな景色を切り取ろうか?」という意識が気付かせてくれるのだと思うのです。






今ではカメラを持たずとも、
例えば朝ランをしている時でさえ
そんな意識が働き、iPhoneで「パシャリ」が日常になっていたりします。







こんなものにも目がいったりします。
駅の隅に置き去りにされた雑誌。
ただ忘れてしまっただけなのかもしれない。
何か理由があったのかもしれません。
ただ結果として、この素晴しい世界の片隅に身寄りのない雑誌が置き去りにされており、
きっと持ち主とは別の人が回収し、捨てなければならないのです。
どのような理由があったにせよ、物を処分する時の労力とその時の気持ちが、
誰かから誰かに引き継がれるのです。
ましてや自分のではなく、会った事もない誰かのゴミです。
例えゴミ回収を生業としている人であっても、いい気分はしないのではないでしょうか。(今回、私がその役回りを笑顔でやらせていただきましたが)






世界は繋がっている。






社会も国も街も家族も私もあなたも、皆繋がっている。






そして思考も感情も、行動もコトバも受け継がれてゆく。世界中を駆け巡る。






自分や自分の周りを「整える」事が、世の中を「整える」ことに繋がってゆくと
私は思うのです。






「自分の目がいった物に、唯、シャッターを押す。」






これはマスターの教えですが、







こうして撮った写真をブログやSNS等に紹介させて頂いています。







私のような素人が撮った写真でも、喜んでみて下さる方がいる。






そして共感し応援して下さる方がいる。






だからこそ私の【第参之眼】(これは Twitter で写真をアップする際のタイトルで、
カメラを表しています)が更に研ぎ澄まされてゆくのかもしれませんね。








そしてカメラを持つという事は、
【第参之眼】を持つという事は、
言うなれば人としての「成長」、
もっと大袈裟に言えば「進化」に繋がるという事なのかもしれません。






 さあて、明日もカメラを片手に出掛けよう!
 X20 の「面倒くさい」ところも、見つけたいなw

 そうそう、こっちのマスターも本日やっと手に入り
「おいしさは力だ!」のグリコスターウォーズキャラメルのおまけも
10種類フルコンプですw


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